2016年09月02日

この記事へのアクセスが増える

 潮干狩りについては、06/5/2「潮干狩りにハマる」、06/5/3「潮干狩りにハマグリ」に書いたことがあって、3月から今頃にかけて。
 アクセスが増えると、少しは人の役に立っているのかなとか思えて、ちょっと嬉しい。

 潮干狩りシーズンが終わってから、潮干狩りについて書くのもなんだけど、まあ、来年の春になってこの記事を読んでくれる人もいるかもしれないしdream beauty pro新聞・・・

 東京湾についていえば、今年は、4月の第2週と20日過ぎ、5月のゴールデンウィーク後半からと20日頃が、潮干狩りには適していた。

 3月では、少々水も風も冷たくて、風邪を引いてしまうかもしれない。6月ともなると梅雨になってしまう。7、8月に潮干狩りに行ってもいいのだろうが、折角海に行くのなら海水浴・・・
 というわけで、大体4、5月が潮干狩りにはもっとも良い時期なのかもしれない。

 潮干狩りに行き出した当初、5月初めに行ったことがあった。ところが、ゴールデンウイークは何といっても道路が混む。潮干狩り場も混む。
 渋滞に巻き込まれて到dream beauty pro新聞着が遅れると、干潮を過ぎてしまったりする。

 一度、そういったことがあった。
 干潮前に到着はしたのだが、潮干狩り場の駐車場がいっぱいで、駐車できるところを探してようやく車を停めたが、潮干狩り場まではだいぶ離れていた。
 まだ、子どもが幼かった時分だったので、子どもの手を引きながら潮干狩り場に向かい、結局、干潮を過ぎてからの潮干狩りとなった。
 満ちてくる潮に追われながら、どうにかこうにか潮干狩りを終えたが、満足できる戦果ではなかった・・・

 今はこの潮干狩り場の駐車場もかなり拡張されていて、路肩に駐車することもないと思うが、それでもゴールデンウイークはなるべく避けるようにしている。

 どうしてもゴールデンウイークに行く場合には、渋滞に掛からないように出掛けることは当然だが、なるべく早い日取りが良い。
 今年でいえば、休日に潮干狩りができたのは5月3日~6日である。3日はまだ中潮だったが、3・4日に行くのが良かった。
 5・6日では貝が採り尽dream beauty pro新聞されてしまって、大きなアサリやハマグリが狙えない。  


Posted by rarajier at 17:13Comments(0)

2016年08月16日

大辞林には

 木を吹き枯らす風の意、初冬に吹く強い風、と書いてある。季語は冬である。
 ところが大辞泉には、秋の末から冬の初めにかけて吹く強く冷たい風、と書いてある。気になって広辞苑を調べると、やはり「秋の末から」。新明解国語辞典も「秋の末から」。
 なんだ、秋の末からの方が多数派なのか・・・でも、季語は冬だぞ。
 立冬になっていないのに木枯らしって、変じゃないか? だから、広辞苑なんて当てにならないんだ。
 さて、今年の立冬は11月8日である。つまり、まだ暦の上でも、実感としても秋。やっぱ、木枯らしって変だよな・・・
 ところで、木枯らしと対をなすのが春一番。
 大辞林には、立春を過ぎて最初に吹く、昇温を伴った強い南風、と書かれている。季語は春である。
 ところがこれも大辞泉になると、立春のころ、その年、初めて吹く強い南風、と春に限定してない。立春以前の冬に吹いても春一番とは、これ如何に。広辞苑に至っては、「冬の終わり頃」と春ですらなく、新明解国語辞典は「2月末か3月初め頃」とバラバラ。
 やっぱ、辞書なんていい加減だよな~
 そもそも、気象庁が木枯らしを決めていたなんて知らなかったな。今回初めて気象庁が発表していることを知った。
 これまでもマスコミは報道していたんだろうか。それとも、俺が半世紀以上もそのことを知らなかっただけ?
 春一番はこれまでも気象庁が発表していることは知っていた。確か、気象庁は立春以降に吹く強い南風と規定していたはずだ。
 なのに、木枯らしは秋に吹いてもいいのか? ・・・と、気になって気象庁のホームページで調べてみた。
 春一番・・・冬から春への移行期に、初めて吹く暖かい南よりの強い風。気象庁では立春から春分までの間に、広い範囲(地方予報区くらい)で初めて吹く、暖かく(やや)強い南よりの風としている。
 木枯らし・・・晩秋から初冬にかけて吹く、北よりの(やや)強い風。
 ホームページには書いてなかったが、気象庁では10月中旬から11月末までの間に吹く北東風を木枯らしとしていると、新聞か何かに書いてあった。10月輪證中旬は晩秋か?  


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2016年07月28日

読み始めたところが面白い

友人の編集者にこの小説の人気ぶりと映画化される話をしているうちに、ファン向けに小説のバックボーンとなっているケルト神話の解説書を書くことになってしまった。
 このことは、以前このブログでも書いたことがある。
 その「ハリー・ポッター」もすでに小説は刊行が終わり、今年末と来年夏の前後編に分かれた「死の秘宝」の映画で幕を閉じることになる。
 以前書いた解説書の方は二度改訂を行ったが、今回、最終巻までの内容に合わせたペーパーバック版「ハリー・ポッターのホントの魔法事典」を出すことになった。書店のほか、セブンイレブンで販売されているので、興味のある方は手に取っていただければと思う。
 また、表紙とamazonへのリンクをこのブログの右上に貼っておいたので、詳しい内容はそちらでご覧になれる。
 さて、宣伝だけでは何なので、本に書いていないエピソードを書いておくことにしよう。
 この本を書くに至った経緯はまえがきに書いてあるが、なぜカーラジオを聞いていたかについて書くことにする。ハリー・ポッターとは関係がないので、これが初公開となる・・・って、大袈裟だな。
 実はこの時、私の父は末期の肺癌で千葉県の病院に入院していた。私は東京の自宅から毎週末に車で病院を見舞っていた。
 普段、家族を乗せて車を運転する時は、あまりカーラジオをかけないし、かけていても良く聴いていない。ただこの時は、独りで運転していたので、気を紛らわせるためにNHKの夕方の放送を聴いていた。
 この時、つまり父が入院していなければ、もしかしたら「ハリー・ポッター」のことを知ることもなかったし、外国で小説を買うこともなかったかもしれない。
 そして、私がこのような解説書を書くこともなかったかもしれない。
 そう思うと、何か不思議な気持ちになる。
 父が亡くなり、それから2年後に最初の本を書いた。出版社から本が届いた時、真っ先に父の仏壇に届けた。この本は、常にこの思い出とともにある。
 もうひとつ。
 このブログにも登場する、ムーミンこと連れ合いが「空旅猫」という旅行記サイトを開設した。ちなみに、これも以前に書いたが、ムーミンというニックネームは連れ合いの体型に由来している。気性はムーミンほどには穏やかでなく、剣呑(けんのん)な山の神である。
 剣呑・・・危険な感じがするさま。また、不安を覚えるさま。
 山の神・・・妻のこと。特に、結婚してから何年もたち、口やかましくなった妻。(06/9/5「細君って誰のこと?」参照)
 こちらの「空旅猫」も、右の欄の中段上くらいに、水色のアイコンでサイトへのリンクを貼ってある。現在はまだソウルの紹介しか載ってないが、興味のある方はご覧いただけたらと思う。
 ちなみに、ライティング・マシーンの俺は、このソウル旅行には参加していない。
 BBクリームのことも良く知らないし、サムゲタンも焼肉もアワビのお粥も食べてない。それにしても、食い物の写真ばっかだな。
 次回アップ予定だという、ミュンヘンのクリスマス・マーケットにも行ってない。  


Posted by rarajier at 16:12Comments(0)

2016年07月19日

読み始めたところが面白い

友人の編集者にこの小説の人気ぶりと映画化される話をしているうちに、ファン向けに小説のバックボーンとなっているケルト神話の解説書を書くことになってしまった。
 このことは、以前このブログでも書いたことがある。

 その「ハリー・ポッター」もすでに小説は刊行が終わり、今年末と来年夏の前後編に分かれた「死の秘宝」の映画で幕を閉じることになる。
 以前書いた解説書の方は二度改訂を行ったが、今回、最終巻までの内容に合わせたペーパーバック版「ハリー・ポッターのホントの魔法事典」を出すことになった。書店のほか、セブンイレブンで販売されているので、興味のある方は手に取っていただければと思う。
 また、表紙とamazonへのリンクをこのブログの右上に貼っておいたので、詳しい内容はそちらでご覧になれる。

 さて、宣伝だけでは何なので、本に書いていないエピソードを書いておくことにしよう。
 この本を書くに至った経緯はまえがきに書いてあるが、なぜカーラジオを聞いていたかについて書くことにする。ハリー・ポッターとは関係がないので、これが初公開となる・・・って、大袈裟だな。

 実はこの時、私の父はDream beauty pro 黑店末期の肺癌で千葉県の病院に入院していた。私は東京の自宅から毎週末に車で病院を見舞っていた。
 普段、家族を乗せて車を運転する時は、あまりカーラジオをかけないし、かけていても良く聴いていない。ただこの時は、独りで運転していたので、気を紛らわせるためにNHKの夕方の放送を聴いていた。
 この時、つまり父が入院していなければ、もしかしたら「ハリー・ポッター」のことを知ることもなかったし、外国で小説を買うこともなかったかもしれない。
 そして、私がこのような解説書を書くこともなかったかもしれない。

 そう思うと、何か不思議な気持ちになる。
 父が亡くなり、それから2年後に最初の本を書いた。出版社から本が届いた時、真っ先に父の仏壇に届けた。この本は、常にこの思い出とともにある。

 もうひとつ。
 このブログにも登場する、ムーミンこと連れ合いが「空旅猫」という旅行記サイトを開設した。ちなみに、これも以前に書いたが、ムーミンというニックネームは連れ合いの体型に由来している。気性はムーミンほどには穏やかでなく、剣呑(けんのん)な山の神である。
 剣呑・・・危険な感じがするさま。また、不安を覚えるさま。
 山の神・・・妻のこと。特に、結婚してから何年もたち、口やかましくなった妻。(06/9/5「細君って誰のこと?」参照)

 こちらの「空旅猫」も、右の欄の中段上くらいに、水色のアイコンでサイトへのリンクを貼ってある。現在はまだソウルの紹介しか載ってないが、興味のある方はご覧いただけたらと思う。

 ちなみに、ライティング・マシーンの俺は、このソウル旅行には参加していない。
 BBクリームのことも良く知らないし、サムゲタンも焼肉もアワビのお粥も食べてない。それにしても、食い物の写真ばっかだな。
 次回アップ予定だという、ミュンヘン韓國人蔘のクリスマス・マーケットにも行ってない。  


Posted by rarajier at 18:15Comments(0)

2016年06月28日

あるべき姿から離れてしまいます

お経も書写せず、あるいはお堂に入ってお参りもしないで、ただご朱印だけを集めて歩くということでは、本来の尊い意義を無視してしま馬浩文うことになり、。
 お参りもせずに御朱印だけを受ける人がいるとは驚きだが、最近は御朱印ガールなどというのもいるらしい。
 ちなみにTwitterで「御朱印ガール」を検索してみると、写真・動画入りで御朱印ガールたちのつぶやきが並んでいる。
 御朱印ガールたちが参拝もせずに御朱印だけを集めていると言っているわけではなく、ちゃんとお詣りして宗教心も篤い人が多いのだろうと思う。
 見かけで判断するのが正しいわけではなく、もしかしたらリュックを背負って寺社巡りをしているオジサンが、参拝もせずに御朱印だけを集めているのかもしれない。
 東京で最も歴史のある浅草寺は、御朱印を受ける人も多くて、正直なところ困惑して節度を求めているように見受けられるが、寺社側はただ迷惑をしているだけかというと、そうともいえない。
 例えば、毎年初詣客では首都陳柏楠圏で1、2位を争う川崎大師では、5か所で9種類の御朱印を用意している。成田山新勝寺は4か所5種類。
 大抵の寺社が1~2種類の朱印しかないのに比べ、ホームページにも載せて商売熱心なのがわかる。
 最近は、観光のために新たに○○七福神を設定しているところもあって、七福神めぐり専用の御朱印帳まで販売されている。
 東武鉄道などは「日光・浅草・上野御朱印ラリー」などというものまで企画している。
 ホームページには御朱印の意味について書かれてなく、「素敵な賞品もご用意しているので、日光旅を楽しみながら、御朱印集めを初めてみませんか」とは、東照大権現もさぞかしお嘆きのことだろう。
 もちろん、このラリーに浅草寺は参加していない。
 似たような観光企画は地方の寺社でも行われていて、御朱印集めがスタンプラリーだと揶揄されるのも仕方がない。
スタンプラリー
〔和 stamp+rally〕一定の経路を巡って各ポイントに置いてあるスタンプを集めるゲーム。(大辞林)
 亡くなった母は、昔、旅行には必ず御朱印帳を携行して、参詣した寺で御朱印を受けていた。
 不幸なことにその後長患いとなり、御朱印を受けに旅行にも出られなくなったのだが、宗教心の欠片くらいは持ち合わせている私としては、コレクション感覚で御朱印集めをしているという話を聞くと、宗教心以前のこととして、悲しいような寂しい気持ちになる。  


Posted by rarajier at 16:44Comments(0)

2016年06月15日

一番好きなイベントだよね



サンクスギビングってやっぱりアメリカ人が。
それぞれの家にトラディションがあるからなんじゃない?ほら、おせち料理みたいにさ。各家庭の個性があるから。
そう言えば、メキシコ體重控制出身の患者さんはターキーの味付けはメキシカン、そして次の日はそのターキーを使ってエンチラーダ、そして二日後の土曜日はあの有名な北京ダックのレストランに行くのが毎年のトラディションなんだって。
ふぅん。

サンクスギビングの次の日、キッチンで夕食の準備をしながら考えていた。昨日は哲の意見に「そうかなぁ、、。」なんて言った私だが、確かにトラディションがあるからさらに「家族」は温もりと懐かしみのある良いものとなるのかもしれない。その家族だけの何か特別なもの、他の家族にはないルール、しきたり、習わし、それらが家族を一つにまとめる力を持っているのかもしれない。そして離れているとそのトラディションを持っている「家族」が恋しくなるのだ。

ミシガンに住む友人はサンクスギビングには毎年恒例で、近所の方たちがパイを持ち寄ってパイパーティーをすると言っていた。なんてユニークなトラディションなんだろう。そしてその後、男性と子供達はアメリカンフットボールをプレイし楽しむと言う。きっと毎年この時期になると近所ではその話で持ち切りとなり、遠くに住む家族もそのトラディションを楽しみに家に戻って来るのだろう。

でも一体、トラディションと呼べるようになるにはどのくらい繰り返す必要があるのだろうか。そして私達にはトラディションがあるのだろうか。

今年も『私達のトラディション通り』、サンクスギビングはもし空いていたら是非私達と一緒にランチしてくださいね。
そう、誘いがかかったの營養師は数か月前のことだった。

ハルもクルミも、そして誰よりも私達がお世話になった(←クリック)リンダとポールは、私にとっては家族同様の存在でその二人が遠くへ行ってしまうことは、今から心にぽっかりと穴が開いてしまう程寂しく、考える度に涙が出て来てしまう。初めてサンクスギビングに招待して頂いた時は「JUST 嬉しい招待」だったのが2年目には「また!」となり、そして3年目には「えー、今年も!!」となり、4年目には落ち着いてその招待を嬉しく受けることが出来、そして今年、晴れて「私達のトラディション」となったのだ。そのトラディションを失ってしまう悲しさ、、、、やっとできた家族のトラディション。

二人でアメリカに住む私達にとって、家族としてのトラディションはもしかしたらこのサンクスギビングの恒例ランチが初めてだったのかもしれない。朝、起きてきたらまずキッチンにいる私の所に哲が来て「おはよう」と言う日々の習慣とは違い、年に1度、もしくは何か特別な時にだけ行われるトラディション、いつか私達にもまた出来るのだろうか。我が家のトラディションをこれからもっと増やしてもっと『家族』になりたいと思った少し切ないサンクスギビングだった。

来年からまた作り直し新しく始まる私達のサンクスギビング、一体どんなものになるのだろう。
ねぇ、あんなことしようか?こんなことしようか?
今から考えてもどうなるか分か德善健康管理ないよ!  


Posted by rarajier at 16:58Comments(0)

2016年06月02日

鈴の家の隣にこくちゃんの家があり

 

お祭りが終わると盆地の村には足早に冬がやって来る。
 そこには女学校に行っているお姉さんが
三人もいて、夜にHKUE 呃人は友だちが大勢集まって話したり、歌ったり楽しそうだった。
鈴も時々こくちゃんに呼ばれて、仲間には入れなかったがなんとなく大人ぶって
その様子をみていた。
鈴の村のお祭りは、絢爛豪華な太鼓台と十八の部落に一つづつある獅子舞と
四年生か五年生の男子がたたく太鼓が主役だ。
 各部落から選ばれた男の子たちは、夕食を済ませるとそれぞれの稽古場で
みっちり太鼓打ちの練習に励む。二つの和太鼓を二人の打ち手が巧みなばち
さばきで、たたくのだ。この稽古は青年団の人やお年寄りの役員たちによって
毎晩のように行われる。
 鈴はこの音が聞こえて来るとわくわくして、お祭りが待ち遠しい。ただ残念な
ことに、祭りの花形の太鼓打ちには男の子しかなれないのだ。今年は弟が選ば
れて、自慢そうに稽古に出かけて行くのを羨ましそうに見送る鈴だった。
 約二カ月の特訓で彼らは踊りながら太鼓を打つ七、八種類の所作を完璧に
覚えなければならない。鈴は時々その練習を見に行っては、ああ自分には出来
ないかも....と頑張っている弟を誇らしく見つめていた。
 広場では鉢巻すがたの青年団のお兄さんが獅子舞の練習をしている。赤い
大きな獅子頭を操る人と、後ろに入って獅子の後ろ脚を頑張る人。休みの時
中から出て来た二人はびっしょりの汗で息を弾ませ倒れこむように横になる。
 獅子は二人の打つ太鼓に合わせて踊るのだから大変だ。十四、五分はある。

 祭りの当日、獅子舞いと太鼓打ちは朝から部落の家々を二三軒に一回の
割合で回るのだ。二日かけて一回りする勘定になる。時々休みながらとはいえ、
相当の重労働である。
 太鼓打ちのふたりはきれいに化粧して金銀の花笠をかぶり、着物には五色
のたすきをかけ、博多の袴をはいて白い緒の草鞋の出で立ち。手には赤い
毛の房が着いたバチを持っている。
 その姿はまるで絵のように美しく可愛い。鈴はこの姿に憧れたのだろう。

各部落で同じことが行われ、二日目の夕方神社の境内に全部落が集合する。
そして一斉に獅子舞と太鼓が奉納される。それが終わるといよいよ神輿が宮入
をすることになるのだが、それを太鼓台「ちょうさ」が邪魔をして追っかけまわす。
ドンドンドンとHKUE 呃人太鼓台に乗った少年が叩く大太鼓の音が、かなり広い境内に響き
渡り、見物の村人たちの興奮も絶頂を迎える。
恐いくせに鈴も仲間たちとキャーキャー言いながら、朝から着ている晴れ着の乱
れを気にしつつ、祭りを堪能した。
 日の暮れるころやっと神輿が本殿に納まり、皆は家路を急ぐ。
夜は最後の晩餐、大人も子供も、ご近所も皆で楽しくご馳走に舌鼓をうった。

 鈴にとってこの村の祭りは、大人になって見たどこの祭りより素晴らしく、華や
かで、暖かくて忘れられない素敵な思い出となった。


 
 お正月に行った時、座敷で賑やかな声がして鈴が覗いてみると、晴れ気を着た
お姉さんたちがかるたをやっていた。鈴が知っている「いろはかるた」ではなくて
読み手が節をつけてお経のようなものを読むと、皆はキャアーキャアー言いなが
ら、目の前に広げられた、ひらがなだけが書いてある札を取りあった。
 鈴は初めてみるかるたに見とれた。特に読み手が持っていた札の美しさに驚
いた。きれいな着物をきた昔のお姫様や、お殿様、お坊様、こんなかるたもある
のだと、鈴の好奇心はむくむくふくらんだ。
 その夜飽きもせず見ている鈴に美代子さんが「鈴ちゃんかるた面白い?好き
なら、時々やっているから又呼んであげるよ」と言ってくれた。
 その後鈴はこくちゃんが呼びにきてくれると飛んで行った。初めは見ているだけ
だったが何回も行くうちに、美代子さんが「鈴ちゃんもやってみなよ」と言ってくれ
たので、鈴もその気になってきた。初めは何が何だか分からなかったお経も、教
えられて昔の有名な歌人の歌だと知った。
 鈴ははまった。その冬は隣りに通いつめて、いつも付いてきた弟とともに、何枚
かは取れるようになったし、十八番も出来た。
 「ちぎりきな かたみにそでを しぼりつつ すえのまつやま なみこさじとは」
意味などもちろん分からなかったが、鈴が一番に憶えた札だった。
 この冬の思い出はなかなか忘れられなくて、この百人一首との出会いは、その
後の鈴の趣味の方向づけに不思議な縁をもたらしたような気がする。

 鈴が中学二年で転校した大きな街の学校に、「百人一首」の大会があると知っ
た時、引っこみ思案の鈴に天から大きな力がおりてきたような、わくわくしたのを
鈴は今でも覚HKUE 呃人えている。    


Posted by rarajier at 13:26Comments(0)

2016年04月27日

あんなに、美味しい食事よりも気に


がなるヘアスタイルを生み出す結果になることは、
これは、果たして、彼の意図していたことだろうか。
それより、彼の前に座っておられる女性が、また気になった。
このヘアスタイルに、なんのアドバイスもしないのだろうか。
もう、独立自治権を認め、統治する権利を放棄したのだろうか。
あまりの気合に、ついつい、ホンネやアドバイスを言いそびれるのだろうか。
仮にカップルだったとしたら、・・・外見などという薄っぺらなジャンルは、もうとっくに超越して
真に中身でお付き合いされているのだろう。
これは、これでアタマが下がる。
そんなことが気になるわたしは、いかに、デキが悪いか、
人間として未完成か、自覚せざるをえない。
こんな浅はかなわたしなら、あんなふうなヘアスタイルのパートナーとは、ちょっと
行動を共にできない。
やはり、凡人(以下)で、まだまだ生煮えで、不出来で、未熟なんだろうなあ。わたし。
こんなことをだらだら書く気は、さらさらなかったのに、
なんてことでしょう。
素晴らしいお料理とシャ康泰旅行社ンソンの夕べは、あのヘアスタイルばかりが印象に残ってしまった。
そこが老人施設ではなく、洗練された一等地のステキなフレンチレストランだっただけに、
ちょっと、心構えができていないで、どぎまぎしてしまった。
いずれ、必ず自分にも訪れる世界なのに、
あわあわと、ちぐはぐなことになっている、わたし。
おそらく、わたしが、みなさんより少し年齢が下なあまり、
老人ワールドの掟や常識、ルール、センスを理解できないでいるのだろう。
自分がどっぷり、その世界に足を突っ込んだら、きっと、なんの違和感もなく受け入れることができるのだろう。
いつまでも若々しくありたい、と願うのは当たり前のことなのに。
このモヤモヤは、なんだろう?
きっと、若々しく見せることへの、美的センスの違いだろう。
髪がなくても、いいじゃない。
仮にもっと若くても、たとえ40代でも、
つるん、ぴかり、でも、いいじゃない。
へんに隠そうとする、悟りを開けていない感覚が、もう十分年を重ねている年齢と合っていないから、
よけいにそう思うのだろう。
本人にして見れば、必死でベストな美意識なんだろうけれど、
やはり、年齢には年齢にふさわしい、舞台の立ち方というものがあるように思う。
ほっといてくれ、と、蹴っ飛ばされそうなので、
やはり、あの方のお連れさんの女性のように、
わたしも、本人を目の前にして、意見を口に出康泰旅行社して言えないに違いない。  


Posted by rarajier at 12:24Comments(0)生活

2016年04月13日

残念ながら荒廃に死亡しました


道路の成長は、私は多くの場合、彼らは自分の灌漑あまりにも多くのチキンスープであることを感じるので、私はいつもと私の心を信じて:私たちは親切で、女の子であることに努めなければなりません。他の誰かをキャストする愛で、私は最終的に愛を取得します。
しかし、良い私は単にと無知ができることを意味しません。私は良いと何度も主張したとき、私は死んで荒廃がひどく傷つけるだろう。
私は感情を利用することができる、善はだまさすることができ、思ったことはありません。私は私が事前に設定され、良好な詐欺で見知らぬ人を助けるためにであることを知ったときに、私は信じられないほどでした。私はあなた自身の銀行カード少ない5000の数字を見るまで、それは私を涙。
それは夏だけでなく、お金の足のルールに家庭内の仕事に私のお金だったので。その時、足の感染の間、松葉杖上のすべての日のクラスに行きます。私が最も哀れだと思いますが、すべての彼女のお金を刈っちょうどその時。
その夜、私は男が、スツールを移動深夜まで泣いて、バルコニーに座っています。涙を泣いた後、彼の目が腫れました。そして、静かに眠りにベッドに登りました。
次の日、私は生活費や足のルールのためにお金を借りるために周りの学生に語りました。前の債務のうちの日は、私は朝食の日付カフェテリアの花で風味のミルク、ちょうど中国の食品を飲むことはありませんしながら、2つのジョブを作業中に、後に、癒さ足は、私が倹約住むようになりましたご飯と料理を遊ん数ドル。私はああを返済したいので。
その夜、雨、寒さ、個別指導の後に行われ、そこには公共交通機関ではない、と後で適度な風と雨の中、学校に10ポイント以上のみタクシーに近い時間を覚えておいてください、でも夕食を食べました。
私は彼が、極端な無力それらの年を介していたのか分かりません。私は、私たちが穏やかであるために、この世界ではないことを理解しています。現実は私たちの傷に塩を振りかけるしない場合、それは私たちの感謝の気持ちがスクランブル値します。
実際には、我々はすべて、混乱、痛み、無力感を混同理解、それを風にもかかわらず、成長し、雨はありません常連を、成長するすべての方法は?
空の下で、あなたは、私はつかの間の後悔を決してあきらめません。どんなに態度のどのような他の非の打ちどころのない、これは私たちの生活の一部である、人々、または悲しい、または無力、または気になる、またはフラットファンファン、または活発を示すようになっていません。
このような書籍等であっても物事は、あなたは私に李川エレジー、およびラインを割り当てて、私たちは歌を持っています。でも死んで荒涼とした、私はあなたがとげで覆探險跳舞われて与え、我々は前進しなければなりません。  


Posted by rarajier at 15:37Comments(0)生活

2016年03月24日

毎年春のシーズンを楽しみにしていた


それが停止してぐずぐずすHKUE 好唔好るのに役立つことはありません。 あなたは時間の思い出によって不自由ものは、必然的に思考するために他の人々の食品のいくつかの断片を残すだろう......崔劉ラング重い競合が赤開花さ参照、飛ぶと草が成長を見守ります。振り返ってみると、遠くに渡された冬は、メイは一度鮮明なジョアン枝をきらびやかな、枯れた、すべての後、年に引きずられていました。時間と空間を介して、心臓、以前は、三日月、と霧の雲トラック、解釈のかすんの層。添付ファイルの心臓、ピンク李白で春江新しい髪は情熱的な生息します......

スカイで実行されているのが習慣に見て、春に通HKUE 好唔好じる道で歩きます。ヨ雲、風が、チー小さな日はぐっすり眠って。空はまた、気分突然ベルクール、すべてのコレクションの心を飛んで、広いこと。春アウトと "清潔で浅い水、夜に浮かぶほのかな香り横斜め「森富栄を通じてアイポリマッピングは、静かに盛メイクを準備してきた、世界にこの豪華な香りを急ぎました。唯一の縁取りする春、蜂がスプレンダー穆弘を飛ぶと行きます......

年ホイールは、まだそれほど性急であるように思われます。人生は、時々より多くのトラブルやN損失をもたらすでしょうが、それはまた、魅力的な風景をまぶしい他の人々を表示し続けます。が、カラフルな春の花、常にメインテーマである、ないサスペンスがない、彼らは無数の人間の希望と想像力をもたらしました。静かに新鮮な花、新鮮な香りを味わいます。一見繊細な香りは、愛は人HKUE 好唔好生の浮き沈みに解釈し、古い傷のあなたの心の痕跡をフリックすることができるかもしれません......
  


Posted by rarajier at 17:32Comments(0)生活